『ストリート』 キャロライン・リーフ

『ストリート』キャロライン・リーフ/カナダ/1976

Street(Caroline Leaf)

 

 

下から光を透過させたガラスの上に絵の具で画を描きます。

淡い不思議な質感の世界が、おぼろげな境界線が、光と影の中に浮かび上がります。

主観的に描かれ、ゆるやかにメタモルフォーゼしていく様子は、

まるで霧の中を進んでいくかのようで、

柔らかい光の中で妄想を見ているような、

非現実的な世界を描き出しています。

 

描かれているのはおばあさんの介護ことで、とっても現実的なお話なんですけどね。

 

『ストリート・ミュージック』ライアン・ラーキン

 『ストリート・ミュージック』ライアン・ラーキン/カナダ/1972

street musique (Ryan Larkin)

音楽は、思い立ったらすぐ演奏できるけれども、

録音しなければ宙に消え、残るものは余韻だけです。

(余韻もいつか消えてしまいますが)

音楽の、自由と儚さ。

時間もかかり、即興性も薄い、

なおかつ記録することが大前提にあるアニメーションとは

真逆のものと言っても良いのではないでしょうか。

ストリートミュージックとなると特に。

そんな音楽の特性を、アニメーションで表現しています。

音楽に合わせてメタモルフォーゼする様子は、本当に細胞分裂しているようで、

人も物も動物も風景も自由自在に同化し、変化し、気持ちいいほどよく変態します。

同時に少し気味が悪い。

固体なのか、液体なのかわからないほどとても柔らかそうで、

その柔らかさゆえに、何に変化しても大体は受け入れられるのだけれども、

その柔らかさゆえに、進化途中の何か不完全な形にも見受けられ、

内臓っぽいというか、微生物っぽいというか、

不完全っぽい形のまま、次から次へと別の形へと流れていくのです。

キモカワイイ、みたいな感じでしょうか。

ギターと手と人と鳥が合体したような、印象的な音楽人間が出てきます。

とりわけインパクトが強く感じるのですが、彼は音楽の象徴なのかしら。

『ママ』(ママのお買い物)ロマン・カチャーノフ

 

『ママ』ロマン・カチャーノフ/ロシア/1972

mama(Roman Kachanov)

 

可愛い幼い我が子を心配する母の愛が大きすぎる故に暴走する負の連鎖。

変な人、変な行い、変な出来事、「変」が面白おかしく描かれる。

 

しかし母の心配はよそに

子供は意外にも平気に丈夫に健やかに育つ。

親はみんな子供が心配。

 

ママの造形や仕草がスレンダーでスタイリッシュで色っぽくて

母というより女性っぽい。

うら若き新米ママの子育て奮闘記、といったところでしょうか。

 

 

おまけ

オリジナル版にはナレーションはありませんが、

かつてテレビで放送された日本語吹き替え版がありました。

(テレビ、しかも民放で放送されたらことがあったなんて!)

オリジナル版とはまた少し違った味わい。

よりコメディ色が強くなり、愉快な印象。 

『風景画家』ジャック・ドルーアン

『風景画家』ジャック・ドルーアン/カナダ/1976

Le paysagiste (Jacques Drouin)

ピンスクリーン(※)による木炭の様な、CGのような、立体的で柔らかな質感の画が

じんわりと移ろっていく。

実態があるような、無いような、はっきりしているような、朧げなような

不思議な画の中で風景画を描く男は、やがて風景画の中に入り込み、

カンバスの境界線は溶けてなくなる。

記憶、妄想、現実の連鎖。

誰もが行ったことがあるであろう、一枚の絵から始まるインスピレーションの旅。

脳内風景。

※ピンスクリーン

板に無数に刺したピンを押し出したり引き出したりしながら光を当て、落ちる陰影で描いた絵を少しずつ動かしアニメーションをおこなう装置。

アレクサンドル・アレクセイエフとクレア・パーカーにより開発された。